駿河湾の底はえ縄漁師(その1) 深海の魚に恋して ヨロイザメ 毎日新聞 2015年10月18日

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ヨロイザメ
※捕獲したヨロイザメを抱き上げる長谷川久志さん=駿河湾で、宮間俊樹撮影

 東の空が朝焼けに染まっていた。10月1日午前6時、漁船「長兼丸(ちょうかねまる)」(19トン)は静岡県焼津市の小川漁港を出港した。眼前に広がる駿河湾は最大深度2500メートル。暗黒、低温、高圧−−。人類を寄せ付けない日本一深い湾だ。長谷川久志さん(66)と長男一孝さん(40)の父子は「地球上最後のフロンティア」が待つ沖合へと8ノット(時速約15キロ)で向かった。

 3キロ沖で深度は400メートルに達した。久志さんが280個の針が付いた「はえ縄」を沈めていく。一孝さんは深度表示を頼りに海底の地形を推測しながら船を操る。船の速度、はえ縄を下ろすタイミングは、あうんの呼吸だ。底引き網漁が盛んな駿河湾は、味の良さで知られるメヒカリや、高級魚ユメカサゴなどが取れる。そうした中、底はえ縄による深海漁のみで生計を立てる漁師は、長谷川さん親子だけだ。

 約4時間後、仕掛けを引き上げ始めた。深海底は生物分布が極端に偏るためポイントを外すと獲物は全く掛からない。餌のサンマがそのままの姿で戻ってくる。50針に1匹掛かれば良い方だという。「相手は自然だから」。久志さんは黙々と作業を続けた。

 正午を境に降り始めた雨が強まり、うねりが出始めた。何かにつかまらないと立っていられない。久志さんが最後の50針に取りかかると、ピンと張った縄から獲物の感触が伝わった。姿を現したのは、ぼてっとした風体と大きな顔、鋭い歯が並んだ体長1・2メートルのサメ。「ゴジラ、来たー!」。久志さんが叫ぶ。硬い皮膚と容姿から漁師が「ゴジラ」と呼ぶヨロイザメだ。水深300〜400メートルで餌を探していた大きな目が反射材のように光っている。「ワクワクドキドキが止まらない。恋をした時と一緒」。久志さんの目も輝く。

 「ゴジラ」の頭をなでながら、久志さんは慎重に針を外した。「命は大切にもらう。ほんの少し前まで未知の世界にいた子。深海の世界に触れられるのは夢のようでしょう?」。神秘的な姿のサメを目にして、私の心も深海へと引かれていった。<取材・文 荒木涼子>
※毎日新聞2015年10月18日東京朝刊より

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